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渋谷・松濤のセラピールーム「Heart Retreat」のブログです。
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Posted by ハート・リトリート
 
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止まらない子どもの虐待
ここひと月の間でこんなに多くの幼児/児童虐待のニュースが報道されています。
ほとんどが20代前半の親の子どもたち・・・


母親(22歳)と祖母(42歳)らで5歳女児虐待…傷害容疑で逮捕 千葉(2010.5.19)

函南の虐待:女児死亡 床にたたき付けられ脳内出血 母親(21歳)、傷害致死で調べ 静岡(2010.5.17)

熱湯かけられ1歳長女やけど 母親(23歳)を逮捕 堺(2010.5.13)

<乳児虐待>布団に投げる…容疑の21歳父逮捕 和歌山県警(2010.5.10)

<乳児虐待>生後6カ月の長女の足にアイロン 22歳の両親逮捕…福島(2010.5.9)

両親(26歳、27歳)を傷害致死罪で起訴 1歳児虐待死事件 寝屋川(2010.4.28)

「泣きやまずカッとなった」 生後1カ月の息子を壁に打ち付ける 傷害容疑で父親(22歳)逮捕(2010.4.25)

「育児疲れ」5カ月長女の両腕骨折る 虐待母(22歳)逮捕 愛知(2010.4.20)

9カ月乳児、壁に投げ付け=傷害容疑で父(23歳)逮捕-福岡県警(2010.4.20)



こうやって、小さな子どもを虐待してしまう若い親が多いのはなぜでしょう。

早い結婚が決して悪いとは思いませんし、若くして出産されて赤ちゃんをちゃんと
育てているお母さんも沢山いると思います。
でも、未熟な若い世代(特に女性)が、あまりにも安易に親になることを選んで
いるような気がしてなりません。

20代前半と言えば、ほとんどの若い人は恋に、仕事に、遊びに忙しい時期です。
恋人や友人や仕事の同僚上司との関係を通じて、色々な経験をし、社会人として、
大人としての人間関係を学ぶ年代でもあります。

今は、昔の人と比べて心の成長が遅いと言われています。
戦争や貧困で家族との死別が多かった時代は、子どもは早く大人(の心)に
なることが期待されましたし、時代が子どもたちを否が応でも大人にしていました。

しかし、今の日本には戦争も軍隊もありません。ものも豊かで恵まれた時代です。
その分、心が鈍感になってしまって、成長が緩やかなのかもしれません。
初婚年齢がどんどん上がっていることを見ても
(1950年男性:25.9歳・女性:23.0歳に対し、2008年男性:30.2歳・女性28.5歳)
もしかしたら今どきの”こころの成人"は30歳くらいなのでは?なんて感じます。

そして、幼い心の状態に加え、早い結婚・出産の動機が

・家族との不和(両親の不仲、機能不全な家族)による寂しさ
(”子どもが出来ればこの恋人は自分のものになる→私に本当の家族が出来る→私はもう一人ぼっちじゃない")

・低い自尊心をつくろうため
(”絶対に自分を見捨てない存在が欲しい=血を分けた子ども”)

であった場合、思い通りにならないことだらけの育児によって
若い親の要望(「私」が満たされること)がかなえられるはずはなく、
逆に「私を満たして!満たして!」と要求されるばかりの子育ては
お母さんにとってはストレス以外のなにものにもならないでしょう。
赤ちゃんが赤ちゃんを育てるようなものです。

「お腹を痛めた自分の子どもを虐待するなんて信じられない」
という感想がよく聞かれますが、虐待をする方には上記のような
心の痛手を抱えた方が多いと言われています。
アダルトチルドレンという言い方もされます。
姿は大人でも心の中は「愛されたくてしかたない幼い子ども」なのです。

虐待にいたらなくても、
我が子が幸せに育つ姿を見ていると、愛しい気持ちの一方で

「なんであなただけが愛されて、恵まれて、幸せなの!」
(私はあんなにさびしくて、我慢して、耐え忍んできたのに!
幸せなあなた(我が子)が憎い!悔しい!)
と、

自分の中に抑え込まれていた「小さな子どもの私」が騒ぎだして、
思わず手をあげそうになる、めちゃくちゃにしたくなる、
その葛藤と日々戦い、もがき苦しんでいるお母さんも沢山いらっしゃいます。

こういったほとんどのお母さんは「小さな子どもの私」に気づいていません。
自分の何がこのような行為に向かわせるか、理解できていないことが多いのです。
頭ではわかってるのに、わき上がる感情をコントロールできず混乱し、
自分を嫌悪し、不安に苛まれ、一人悩まれている方も多いのではないでしょうか。

頭が感じていることと心が感じていることは別なのです。
頭は理屈で騙すことができますが、こころは騙せません。
一度押さえたとしてもいつか反乱を起こします。


虐待を減らすためには、単純に罪を犯した人間を逮捕して罰するだけでは
解決にならないと感じます。
虐待の背景(今の社会構造、心の苦しみを抱えた寂しい大人が多く存在すること、
その心のケアや親の成長を助ける周囲のサポートが少ないこと)を理解した上で
論じる必要があるでしょう。

心の問題を抱えたお母さんでなくとも、近所付き合いが希薄化し、
コミュニケーションがデジタル化された今の時代では、子育ては孤独で
ストレスまみれの過酷な労働なのかもしれませんね。

幸せな大人が増えなければ、幸せな子どもも増えません。
ついつい自分のことだけを考えて生きる毎日。
少しだけ周囲を気にかけてみる。ちょっと声をかけてみる。
それだけでも何か違ってくるのかもしれません。
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Posted by ハート・リトリート
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[親と子]  thema:AC(アダルトチルドレン) - genre:心と身体
「親」という字は木に立って見る、と書く
5月9日(日)のフジテレビ「エチカの鏡」は、ヨコミネ式保育園の卒園発表会と卒園式を追った内容でした。

ヨコミネ式教育法の賛否はいろいろあるでしょうが、それは置いておいて。

番組の最後に横峯吉文理事長が親(大人)たちへのメッセージとしてこんなことを言っていました。
(記憶を頼りに書いているので、ちょっと違う部分はご勘弁ください。)


「親」という字は木に立って見る、と書くんです。

ところが、最近の親御さんは「見守る」ということが出来ずに

すぐに木から降りてきて手伝ってあげちゃう。

子どもにはいっぱい失敗させないといけない。

子どもは失敗の中から自分で学んでいくんです。

人間っていうのは他の動物と違って学習できる。

学べるっていう才能を天が人間だけに与えたんですよ。




私自身はこの意見には賛成です。

私には子どもがいませんが、カウンセリングでのケースや周囲の
親御さんを拝見していると、特に男のお子さんに手を貸しすぎてしまう
お母さんが多いように感じます。

与えられるばかりのお子さんは、他人に与えることが下手になります。
与えること、与えられることは、人間社会の中で相互に助け合うために
必要不可欠です。これらの感覚は実体験から培われます。
いくら「知識」として教えても、感覚として備わらなければ、
使い物にならないのです。
だから、沢山経験して、失敗して、自分で学ぶのです。

自分の力で何かを乗り越える、
自分の判断で選択を行い、実行する、
これらを「実感をともなって経験していない子ども」は逆境に弱くなります。

また、与えられるばかりの子どもは、想像力を養う機会が奪われがちです。
「想像力」は思いやりや優しさにつながります。

いくら優秀な成績でいい大学に入って、いい企業に就職出来たとしても
周囲から「愛されない人」は、いずれコミュニティから孤立してしまいます。

子育て真っ最中のお母さん方は、日々葛藤の連続かと思います。
お子さんの幸せを願うあまりに、ついつい手も口も出てしまうかと思いますが、
ご自分を思い返してみたら、人から教わったことより、自分が失敗や経験から
学んだことの方が、深く心にも体にも染み込んではいないでしょうか?
Posted by ハート・リトリート
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[親と子]  thema:生きること - genre:心と身体
母より幸せになってはいけない気がする
母は小さい頃から楽しみ一つ見つけないで働き続けてきた。

朝は誰よりも早く起き、
自分のことは一番あと回し、
いつも家族のことを心配している。
世間体のいいことは、それとなく他人へ自慢し、
恥ずかしいことは嘘をついてでも隠す。
「大した問題のない普通の家庭」
その家族を維持するのが母の人生。

「疲れた」とは口に出さないが、体全体が「疲れはてた...」と語っている。
子どもはそんな姿から親の悲哀を悟る。
そして自分が親を守ろうとする。

「お母さんを喜ばせたい」
「お母さんをこれ以上疲れさせたくない」
「私(僕)がなんとかしなくては」

頑張る子どもは精一杯いい子になる。
多少のことは自分の中でとどめて、自分だけで解決しようとする。
大人に守られる生き方でなくなると、人の顔色や感情に敏感になる。

そして、いつしか自分も親の生き方をなぞり始める。
「自分を犠牲にしてまで無理をする」
「自分のニーズや感情より他人を優先する」

小さな自分が与えられた世界の中で、
生き抜くためにしてきたことなのに、
いくら頑張ってもゴール(心の満足)はやってこない。
頑張り続ける自分の前には、年老いてなお更に頑張り続ける母がいる。
その背中は「まだ足りない、私がこんなに疲れているのに、あなたは休むつもり?」
そう言ってるようだ。



「母より幸せになってはいけない気がする」

幸せでない母を見てきた人はこう感じることが多いようです。

特に子どもが同性(女の子)だった場合、母が背負っている不幸を
一緒に共有させられて「同志」にさせられることも多いのです。

でも、もう、やめましょう。
あなたの人生はあなただけのもの。
親の人生は親のもの。それはその親の選択だったのです。
あなたは自分を浸食されてはいけないのです。

「あなたのためを思って」「家族のためだけに私は今まで...」の言葉は、
実は(母)親が子どもを自律させないための支配の言葉でもあるのです。

個と個の関係が曖昧になった親(母)との関係に境界を引くことは
親を拒否することではありません。
愛していない、ということでもないのです。
親子である前に、人と人として当たり前の尊厳を守ることなのです。

「自分を傷つけ続けてきた自分」に気づきましょう。

Posted by ハート・リトリート
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[親と子]  thema:こころ - genre:心と身体
気持ちの受けとめ方
ある小さな男の子が土手で段ボールに入った子猫を一匹見つけました。
まだ生まれたばかりらしいその子猫にそっと触れてみると、ふわふわの毛の下に片手でつかめてしまうくらいの細い痩せた身体を感じました。

子猫は「ミギーッ、ミギーッ」と絞り出すような声で母猫を呼んでいます。
近くに母猫は見当たりません。
とても自分の力では生きていけそうもない弱々しい小さな子です。
力を加減しながらそっと抱っこすると、子猫のぬくもりが男の子の手を伝わって身体に流れてきました。あたたかくて、なんとも言えない心地よい感じです。

そばを近所のおじさんが通りがかりました。
「なんだ、捨て猫か。保健所に電話して来てもらおう」

別のおばさんは
「病気持ってるかもしれないから、そんな猫触らない方がいいわよ」

そんなことを言います。
小さな男の子はだんだん不安になってきました。
この子猫が病気をもっているかもしれないことよりも、大人によって何か危険な目に晒されるような気がしてきたのです。何となく大人はこの猫を自分たちの世界から「放り出そう」としているようにも見えました。

冷たい風が吹いてだんだん夕闇が迫ってきました。
頬にぽつりと水滴があたりました。雨が降ってきそうです。

考えあぐねた末に男の子はこの猫を自宅へつれて帰りました。
母親に間違いなく怒られる事はわかっていました。
でも、そうせずにはいられなかったのです。

帰宅した男の子を見るなり母親は「なんでそんなもの持ってるの!」と一喝しました。
事情を聞いたあとも、「猫を捨てるような非常識な人間がいるから、野良猫が増えて仕方ない」「(近所の大人たちは)なぜうちの子に処分を押し付けたのか」「なぜ誰かに預けてこなかったの」「あなたはいつもお母さんを困らせる」と息をつく暇もなく、まくしたてました。

男の子は分かっていたこととは言え、母親の言葉に傷つき、意気消沈です。



ここで「気持ちの受容」について考えてみたいと思います。
このお母さんは恐らくこの子猫を飼いたくない(飼えない)状況であると思われます。
どこの家庭でもこんな風に子どもが拾ってくる子猫は歓迎されないでしょう。

この男の子は怒られるのを分かっていて、連れて帰るという行動に出ました。

なぜでしょう?

きっと「見て見ぬ振りを出来なかった」のだと思います。

もし、この子が帰宅した時に話を聞いたお母さんが
「○○君は、この猫をそのままにしておけなかったんだね」とひとこと言えたらどうだったでしょう?弱いものを見捨てられなかった自分の行動をひとまず受け止めてもらって、男の子はとても救われた気持ちになったはずです。

人は「頭で分かっていても、その通りに出来ない」時が多々あります。
「~すべき」「~した方がいい」のに「~してしまう」これが「葛藤」です。
人は自分の葛藤状態を相手に受け入れてもらえたと感じた時に、心の緊張がほぐれてほっとした気持ちになります。

「猫は我が家では絶対に飼えないのよ」という答えが最初からゆるがないものであったとしても、子どもの気持ち(葛藤)をいったん受けとめることはとても重要です。
気持ちを受けとめることは、子どもの要求を飲むこととは違います。

この子は「小さく弱いものを見捨てられなかった」という動機から母親に叱られると分かって猫を連れ帰りました。それに対して、この子の動機を無視して「あなたはいつもお母さんを困らせる」と返答することは、「母親の気持ちに沿うこと以外はすべてNG(=子どもが自分で考えて行ったことは肯定されないのだから、表現するべきでない)」というメッセージを子どもに送ることにもなります。これが続けば、子どもにロボットになれと言ってるのと同じになります。

顔を見るなり叱り飛ばすよりも、「○○君は、この猫のことがとても心配だったから、そのままにしておけなかったんだね。でもうちでは飼えないの。だから、この猫のこと、これからどうしたらいいか一緒に考えよう」こう言えたなら、この男の子の心もずいぶん違ってくるでしょう。

お母さんの考えと男の子の考えが相反するものであったとしても、相手の動機や葛藤を尊重して受けとめる、これだけで、お互いの関係性はとても気持ちのよいものになるはずです。
Posted by ハート・リトリート
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[親と子]  thema:こころ - genre:心と身体
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