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渋谷・松濤のセラピールーム「Heart Retreat」のブログです。
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Posted by ハート・リトリート
 
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私たちは神ではない
私のセラピールームには家族や親しい人、ペットの死を経験された方が来られます。

自分にとって、とてもとても大切な誰かの余命が短いと知ったとき、

誰でもが大きなショックを受け、そんなはずはない、と現実を否定するでしょう。

そして、ありとあらゆる手だてを一生懸命に模索します。



それは新しい治療法を試してくれるお医者さんかもしれませんし、

民間療法などの代替療法かもしれません。

あるいは霊能者などの非科学的な方法に頼ることもあるでしょう。

病気になった本人もご家族も必死なのです。



ある民間療法の施術者から

「お医者さんの診断は誤りです。あなたは必ず治りますよ」

そう言われた病気の方とその家族がおられました。



そして実際に、具合の悪かった体調がしばらく安定したそうです。

ご家族はその施術者を盲信し、その療法のみを実践しました。

結果的にご病気のご本人は、ほどなくして亡くなられたのですが、

かつてお医者様が宣告された時期より早くに逝ってしまわれたのです。



残されたご家族はその後長きにわたって苦しむことになりました。

「『治る』という言葉を信じてしまった(自分が愚かだった)...」

「病院で適切な治療を受けていればもっと延命できたのではないか」

「本人にちゃんとお別れや感謝の言葉を伝えられなかった」

亡くなった方への後悔の念、自責感、罪悪感などは、大事な人を

亡くした方ならば誰もが感じる自然な感情です。



ですが、心が翻弄されている時に決断した選択肢には、あとで

冷静になった時に賢明ではなかったと思えるものが多々あります。

それは無理のないことであり、家族を助けたいと思う無我夢中の

状態で行ったことですから、誰が悪いわけでも力が足りなかったのでもありません。

むしろベストを尽くそうと常に最善の努力をしていたのです。



私は、支援者側がもっと自分の仕事の限界を意識すべきではと感じています。

カウンセリングに来られる方と接すると、民間療法やスピリチュアル業界の

方々があまりにも自分の力を過信した物言いをしてはいないかと感じる時があります。

施術者の権威的なふるまい、さもありなん、という発言が、希望を求めて

すがっている人に必要以上に現実を見えなくさせてしまい、結果として、

死別の悲しみを更に深いものにさせてはいないかと。



私たちは神様ではありません。

医師免許を持たない私たちが「治ります」ということは言えませんし、ましてや断言できません。

すがりついてくる方の必死な形相に施術者自身が不安になり安易な言葉をかけてはいないでしょうか。

人を信じて、傷つき、大事な人を亡くして苦しむ

そんなぼろぼろになった方の涙を見たことがあるでしょうか。

目の前にいる困っている人が更に苦しい目に遭わないか、

自分の発言は適切であろうか、その想像力を持つことが思いやりだと思うのです。

自分の存在、言葉の影響力、それらを日々自覚して支援にあたらなくては、と

私自身、強く感じています。
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Posted by ハート・リトリート
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[カウンセリング]  thema:カウンセラーやセラピストのお仕事 - genre:心と身体
下園壮太先生のセミナー
おとといの土曜日、日本産業カウンセラー協会主催の特別講座:「カウンセリングの基礎体力を鍛えなおす」へ参加してきました。講師は陸上自衛隊初の「心理幹部」として数多くのカウンセリング経験をもつ下園壮太先生です。

自衛隊の先生だけあってか、「座っておとなしく講義を受ける」という内容ではなく、ワーク中心のあっという間の1日セミナーでした。

下園先生のことは数年前の著書「うつからの脱出」で知りました。
この本には、うつになると人はどのような状態になるのか、どんな気持ちが生じ、どのように抜け出せないスパイラルにおちていくのか、身体のどのようなメカニズムが人をそうさせるのか、などが実に的を射て書いてあります。
うつからの脱出


また、うつからの回復過程にある人がくじけてしまわないように、今の自分の状態を正しく理解し、受け入れつつ、前進していく方法も紹介されています。興味がある方は是非本を読んでみてください。

さて、今回のセミナーはそういった心に悩みや苦しみを抱える方を援助するカウンセラー向けの内容。

先生がセミナーの冒頭に言われた言葉がすごく印象的でした。

「カウンセリングはスポーツと一緒です。野球の解説を上手にできる人が、実際の試合で強い選手なわけではない。理論も大事だけれど、上手になりたかったら、とにかく実戦で鍛えることです。」
(実際に仰った言葉とは違うかもしれませんが、私の受け取ったニュアンスはこんな感じです。)

ちょっとびっくりしたのは、下園先生自身は「学問としての心理学」を大学などでは学ばれてないということです。
30代の半ばに突如として「自衛隊内で心理カウンセリングをやりなさい」という指示が下り、民間のカウンセリングスクールで短期間のカウンセリング研修のあと、いきなり現場に投入された、ということでした。

当時の状況を例えるなら「バタ足と息継ぎがなんとか出来る位の人がいきなり岸から離れた大海に浮き輪なしで放り込まれた」って感じでしょうか。しかも下園先生は、初心者カウンセラーにも関わらず、自衛隊内でカウンセリング教官もしなくてはならなかったそうです。無茶ぶりもいいとこ!
想像するに大変なプレッシャーだったことでしょう。

今回教えていただいた下園先生のカウンセリング手法は、「海外から導入された理論と現場で起きていることの違和感」をスタートに「日本人のカウンセリング現場」に合った形を模索した結果にたどり着いた方法(メッセージコントロール)なのだそうです。

私自身、色々な理論や療法をこつこつと学び続けていますが、自分のカウンセリング・セラピーが時として「不自然」になっていると感じられることに戸惑いを覚えていました。学んだ知識に縛られすぎて、理論や技法をふさわしい形で現場におとし込むことが出来ていなかったからですね。

セミナー会場でワーク内容を解説した著書「目からウロコのカウンセリング革命」にサインをいただきました。
(ちなみにこの絵の中に「下園壮太」って言葉が隠れているんですよ。)
バランス
そう!バランスが大事!

本の知識、実践で感じたこと、どちらかだけでなく、両方を尊重し活かすこと。
つまり、バランスを探ること。
今日の私にぴったりの言葉でした。
Posted by ハート・リトリート
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[カウンセリング]  thema:カウンセリング - genre:心と身体
「大変だったね...」のひと言
その女性(Aさん)は、カウンセラーにその話を打ち明けたとき、心も身体も疲れ果てていたそうです。Aさんは恋人の浮気が原因で、もう1年以上も不眠や抑うつ状態にいました。

カウンセリングにたどり着くまで、Aさんを心配した友人たちが入れ替わり手助けしてくれたそうです。Aさんも苦しい思いを何度も友人に語りました。友人たちも辛抱強くAさんの話につきあいました。

が、なぜか、話せば話すほど、Aさんは友人たちとの間に気持ちの距離を感じたり、後ろめたいような、申し訳ないような罪悪感を感じてしまうのです。そんな事を繰り返すたびに、Aさんはますます落ち込み、体調を悪くしていきました。仕事のミスが続くAさんにある日上司がカウンセリングを勧めました。



今まで友人たちに何度も話してきた、恋人との苦しい話を全部聞き終えたカウンセラーは、ひと言
「そう。そんな事があったの。Aさん、それは、とても大変だったね...」これだけ話したそうです。

気の利いたフレーズでも何でもない、ありふれた「大変だったね...」のひと言でAさんは「身体から力が抜けて、涙があふれて出てきた」そうです。




この時、Aさんに何が起こったのでしょう?
ここでカウンセラーが行ったのは「気持ちの受容」です。

私たちは日々悩み、迷いながら生きています。
乗り越えるのが大変な困難にぶつかった時に、人の心の中には「恐れや不安」が生まれます。「恐れや不安」は非常に不安定な感情なので、この状態になると人は気持ちをどこかに着陸させたい(落ちつかせたい)と感じます。つまり、この恐れや不安を誰かに受け止めてほしいという気持ちが意識的にしろ無意識的にしろ生まれるのです。

このケースでは、Aさんに友人たちは様々なアドバイスをしていました。
それは、「そんな男とはとっとと別れてしまえ」であったり、「早く次の恋をしなさい」であったり、「気晴らしに旅行でも行ったら?」など、一般的には非の打ち所のない「正論」でした。

しかし、これらの言葉はむしろAさんを追いつめるだけでしかなかったのです。
AさんにはAさんが受けた心の傷や、失った愛情を十分に悲しみ、受け止める時間が必要でした。Aさんには友人たちのアドバイスが「悲しむ暇があったら、早く元気にならないと」という無言のメッセージに感じられてしまったのです。

一方、友人たちの気持ちを考えてみると、いつも明るくて元気いっぱいだったAさんが見違えるほどに元気をなくしてしまったのは脅威です。同じ事を何度も繰り返し話すだけのAさんを目の前にして、この友人たちの心には「Aちゃんはこのままで大丈夫だろうか?」という「恐れや不安」が生まれたのです。そうなれば、友人たちも自分の気持ちを着陸させるために「正論」を主張するかありません。自分の心が「恐れや不安」にとらわれているので、他人の気持ちを受け止めるどころではなくなってしまうのです。

こんな風に人間は他の人間との関係の中で生きています。
言葉は私たち人間に与えられた高等なコミュニケーションツールです。
たったひと言のなんでもない言葉が、誰かを救ったり、傷つけたりもします。

ひとつひとつの言葉を大事に、丁寧に使いたいものです。
Posted by ハート・リトリート
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[カウンセリング
ゲシュタルトの祈り
ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズが作った詩


ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。




ときどき自分に言い聞かせる言葉です。

私たちは自分の人生が「私のため」であることを見失ってしまう時があります。
そして、無意識に他人の人生を浸食することで「自分の人生を生きている」気になっていることもあるのです。

自分が人の輪の中にいると「とても疲れる」と感じる時、
自分が他人に気を遣うのと同じくらい自分を大切にできているか、
見つめてみる必要があります。

そして他人に限度を超して手を貸すことが
実はその人から「自分で成長する力」を奪っていないか
自分に問いかけてみる必要があります。



Posted by ハート・リトリート
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[カウンセリング
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